アートとデザイン
あらゆるものの定義について考えるとき、子供からの質問に答えることを想像する。彼らが納得する答えを導き出せたとき、一般に平均的な分かりやすさがあると考えているからだ。
アートとデザインの違いは何か。そもそも、アートとは何か。デザインとは何か。この手のことは常に考えるようにしている。特別なきっかけがあったような気がするが、何だったか忘れてしまった。
横向きの線が一本ある
想像してみてほしい。それは何だろうか。ただの水平線かもしれない。数学記号のマイナスあるいは漢数字の一かもしれない。もしくは人や車が行き交う道路の一部かもしれないし、虚空に現れた時空の裂け目かもしれない。この棒には様々な在り方を想像することができる。これがアートだ。
ここでお伝えしなければならないことがある。実は、その棒は定規だったのだ。定規でないものを想像されては不都合がある。あなたにこれが定規であると、口頭でなくても伝えるにはどうしたらいいだろう。棒の端にメモリを書いて数字を書けば、幾分か定規らしく見えるだろう。これがデザインだ。
想像させるアート、させないデザイン、そのグラデーション
どうだろう。合点がいくだろうか。アートはどのような見方があっても良いし、その多様性に価値がある。デザインはそれが持つ目的のために見方を制限させて、ひとつのアイデアに向かわせるほど高価になる。
基準が理解できれば、区別をつけたくなるものである。バンクシーの絵とAppleのiPhoneを簡単に比較してみよう。バンクシーの絵は、いかにもアートシーンの注目の的といった感じである。iPhoneは新機種が発売される度に誰もがそのデザインを、良くも悪くも評価している。
だからといって、バンクシーの絵はアートで、AppleのiPhoneはデザインだ、と決めつけるのは早計だ。伝えたいメッセージが洗練されたアートはデザイン的な要素を孕んでいるし、美しく精巧につくられたデザインはもはやアートの領域にある。バンクシーの絵やAppleのiPhoneも例外ではない。あらゆるものはアートとデザインのグラデーションの中にあるのだ。
では、今書いているこの記事は一体何だろう。私のアートとデザインに対するひとつの見方を表現したアートであろうか。もしくは「アートとデザイン」について、あなたにも考えてみてほしいと促すためのデザインであろうか。はたまた、その中間的なものだろうか。
拙文のため、吟味は保留する。